【守りたい】相次ぐいじめ自殺 ~教員養成の実際~ | ボクの人生、預かり所。

相次ぐいじめ自殺 ~教員養成の実際~

いじめの対応の仕方 教育問題
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 いじめによる自殺が相次いでいます。未来ある子どもたちが苦悩し、人生に幕を引いてしまう現実が存在しています。いじめられるために学校に行っているのではありません。先生たちは守ってくれないのでしょうか。

 いじめを受けている期間はとても苦しいです。そんな辛い現実から目を背けたいと思っても、幼ければ幼いほど逃げる所がないのです。そもそも逃げるすべを知りません。やむにやまれず悲しい選択をする子どもが減っていくことを願い続けます。

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教員はなぜいじめ問題に迅速な対応をしないのか

 報道などで、「教員はなぜいじめ問題に迅速な対応ができないのか」という意見をみかけることがあります。はっきり申し上げますと、それは教員免許状取得に必要ないからです。

 いじめ・不登校など不当な扱い(人権蹂躙)を受ける子どもを減らしたいと本気で思います。

 「教員は、教員免許状を持たない教育問題参与者を嫌う傾向がある」という専門家の助言もあり、教職課程(養護教諭)を履修するに至ります。

 大学の教職課程では、教育問題への対応なんかほとんどやらないのですよ。カウンセリングの基礎だったり、心理学や精神医学の基礎だったり、知識的にも技術的にも学ぶ機会がほとんどありません。

 私は心理学系大学かつ養護教諭の課程だったので履修できましたが、教育学部系大学では難しいのです。

 実際のところ「各教員の努力に任されているのが実情」です。教員になってからそういう勉強・努力している人間なのか、そうでない人間なのか…そういう視点で教員を見て欲しいものです。

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新教職課程と教育問題(教育相談)

 2019年(平成31年)4月1日、教職課程で履修する内容が約20年ぶりに全面的に見直されました。教育相談の属する項目を新旧で比較してみましたが、あまり変わっていないように感じます。

 参考として、養護教諭(1種免許)の例を挙げておきます。

【旧課程】―生徒指導及び教育相談に関する科目

「生徒指導の理論及び方法」「教育相談(カウンセリングに関する基礎的な知識を含む。)の理論及び方法」の合計4単位

【新課程】―道徳、総合的な学習の時間等の内容及び生徒指導、教育相談等に関する科目

「道徳、総合的な学習の時間及び特別活動に関する内容」「教育の方法及び技術(情報機器及び教材の活用を含む。)「生徒指導の理論及び方法」「教育相談(カウンセリングに関する基礎的な知識を含む。)の理論及び方法」の合計6単位

 ※その他の免許状など詳細は、文部科学省ホームページで

 旧課程で4単位だった科目に、新課程で2科目加えて6単位。教育相談に関しては良くて横ばいと考えられます。子どもの命を守ることに繋がる内容は、相変わらず重要視されていないのです。

 スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーなどと連携して対応していくためには、基礎的な支援の知識が必要になります。

 丸投げでは支援の効果も激減してしまいますし、対応しないのは論外です。

子どもの命を守るためには

 教員が“神”という時代は終わったと言われてずいぶん久しくなりました。指導力も必要ですが『中身(人格・品格)』も求められます。教員に限らず人間そのものが『中身』を問われる時代と言っても過言ではありません。

 教育問題に対する教員の対応の遅さ、不適切さには、教員養成制度という背景があります。どういう教員を採用するのか、その辺りの制度のお話になってきます。

 いじめなどの問題を積極的に拾いにいかない教員がよしとされているなら、もうそれは学校では子どもの人権や命を守れないということを意味します。

 いじめの加害者と被害者を合わせて「仲直りしようね♪(握手)」で万事解決と思っている教職課程履修者がいました。これではあまりにもお粗末です。

 このような問題は勉強を教える教員と、子どもを守る教員(担任業務のみ)を設置すれば解決します。ただコスト的に厳しい現実がありますが、子どもの命を全力で守れる大人は絶対に必要です。

 悪者探しをしていても話が進まないので、自分も含めたそれぞれの立場を今一度見直してみる必要があります。人間は一人で生きているわけではないのですから。

 私も、こうした問題に色々な角度から取り組んで行きたいと実践・計画をしています。微力ながらも地道に取り組んでいます。

 いじめを防ぐには、家庭・学校・社会の観点から問題を見つめ直さないといけません。下にいじめ防止の視点をまとめてみました。

いじめ防止の一般的視点

【加害防止】

<家庭>幼少期における善悪・道徳教育、否定的な言葉を浴びせない
<学校>いじめを絶対悪(犯罪)という認識を持った日常的教育活動
<社会>いじめを絶対悪(犯罪)と捉える、違法の場合は厳正な処罰

【被害防止】

<家庭>幼少期における信頼の強い親子関係形成
<学校>信頼関係の形成・信用できる大人像の形成
<社会>信用できる大人像の形成(不祥事のない社会)

【傍観防止】

<家庭>道徳教育、いじめの目撃を相談するのは善である
<学校>学校の上記2点が浸透すればおのずと防止につながる
<社会>いじめを黙ってみていることを悪として捉える

 いじめはなくしたいです。人間がいる以上なくすのは困難ですが、減らすことはできます。ただ、不当な死は防ぎたいという強い思いがあります。犯罪である内容であれば加害者側は社会的制裁を受けるべきだとも思います。

 できるのであれば被害者・加害者ともに放置されることは避けたいのです。しかし、そのすべてを把握することはやはり困難です。

 いじめ問題に関しては、加害者側に心理的な問題(必ずしも病的とは限らない)があることは明白です。加害者側への心理的(治療的)ケア、被害者側への心理的(回復的)ケア。双方への適切な支援が必要なのです。

 そのためには、いじめ問題を認知する必要があります。被害や目撃の訴えを汲み取る対応が主となってしまいますが、これもあまり機能していません。

 子どもたちは「教師・大人は信用できない」「言うことで問題が大きくなるのが嫌」「心配や迷惑を掛けたくない」「自分の弱い部分を見せるのが恥ずかしい」などと言います。大人をひとくくりにされると厳しいですが、本人に合った信じられる大人との出会いが大切なことは間違いありません。

 私事ですが、今後もいじめや不登校を含め教育問題に関わっていきたいと考えています。ただ寄り添うだけの存在(大人)があっても良いのではないでしょうか。

いじめ発生のメカニズム

 加害防止が一番なことは言うまでもありません。いじめたい、からかいたい、イライラする、気に入らない、殴りたい……人間ですから、生きていればそう思う時もあります。そう思うこと自体は人間として自然な感情でもあります。

 しかし、行動に移すか否かが問題なのです。やはり、行動に移した時点で行動した方が悪くなります。いじめや攻撃を正当化できる理由はありません

 いじめや嫌がらせなど、すべての行為は『自己愛性パーソナリティ障害』(+α)という概念で説明がつきます。基本的に18歳未満は診断の対象となりません。ですので、子どもの場合はその予備軍である可能性があります。

 障害であるか否かは問題ではなく、そういったパーソナリティ傾向を持っている子どもが、いじめの発生原因なのです。

 ターゲットの自尊心や自己肯定感を削り、強がったり弱ったり苦しむ姿を見て、一時的に満たされるのです。そうやって人を破壊するタイプの人がいます。

 不安や満たされなさ、自信のなさを一方的にぶつけてきます。加害者の『弱さ』『異常さ』の被害に遭う側は、何の得もありません

 例えるなら、“石橋を叩いて壊しておきながら、「弱え橋だなぁ」と言う”です。人の心を壊れるまで叩いておきながら、相手が自殺したら「弱え奴だなぁ」と言う。まさに狂気です。被害者は弱くないのです。

 いじめや嫌がらせに遭ったら、助けを求めてください自分だけで抱え続けることは、遅かれ早かれ死に繋がっていきます。致命傷になる前に助けを求めてください。どうやっても、心の傷は避けられませんが、浅いに越したことはありません。人生、先は長いのですから。

 いじめるからいじめが起きます。この概念を知った時に、ものすごく合点がいきました。点同士が繋がって線になったようで、私自身の体験もメカニズム的には納得がいきました。

まとめ

  • 教員はいじめ問題に対応できない場合がある
  • いじめ問題の対応は教員個人の人間性による
  • いじめ発生のメカニズムを知り、身を守る
  • 信頼できる大人を見つけることが大切である
  • いじめの被害に遭ったり目撃したら、信頼できる大人に相談する

 命を守る行動を選択するためには、正しい知識と自分や他者の『命を守りたい』という強い思いが必要です。

 現実に失望したりあきらめたりするのではなく、良い方向へ向かう前向きな思考が大事です。どんなことがあっても生き抜いてくださいね。

教育問題
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