【実体験から考える】放デイにおける指導法とは | ボクの人生、預かり所。

放デイにおける指導法とは

放デイにおける指導法とは 放課後等デイサービス
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 放課後等デイサービスにおける声かけなどの指導法について考察します。主に発達障害のある子どもに対する指導法のあり方について取り上げます。

 当記事は私の体験談を基にしていますので、個人や団体を特定できない形でお届けします。より良い指導法について考察するためにご紹介するものです。

 ご紹介する事例は、あくまで私の勤務した事業所のとある教室の話であり、全ての事業所に当てはまるものではございません。ひとつの例としてご覧ください。

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とある事業所の指導法

  • 怒鳴りつける、威圧するなどして有無を言わさず従わせる
  • ふざけ、勘違いなどの行為でも泣くまで指導する(怒鳴る)
  • 子どもたちは黙って言うことを聞く(怖いので)
  • 望ましい行動ができて素晴らしい♡

 この実態を目の当たりにした時、正直 (゚Д゚)ハァ? って思いました(笑)。 望ましい行動を獲得した代償に、子どもたちは感情を失ってしまったのです。自分の感情や気持ちを素直に表出することができなくなっていました。

 感情がないわけではありませんが、大人(職員)の許可がないと表出できません。大人が大げさに盛り上げると、今は感情を出していい時なんだと判断して喜んだり、笑ったりします。完全に条件付けられており違和感しか覚えませんでした。

 集団の中の個人に対してこういう指導をするので、集団自体が委縮してしまいます。例え取り出して個別にやったとしても、個人に深刻なダメージを与える可能性がある指導法なのです。

 怒鳴り声に体をビクッとさせている姿を見ると、虐待ではないかとさえ感じる状況でした。声こそ上げませんが、怒鳴られて不満そうな表情をしている子どもに対して、「怒ったって駄目!」と声を荒げる大人……。

 とにかく有無を言わさないのです。子どもの気持ちなど1ミリも考えていないのです。でも、そこではその指導法が最も素晴らしいものであり、それに異を唱える者は反逆者なのです。

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とある事業所の指導例

 ①楽しいおやつタイム♪

 おやつの時間の最初に、もらいにいく順番について話をしました。その順番通りに名前を呼んでいきます。まだ名前を呼ばれていない子が、順番を間違え立ち上がってしまいました。

「あなたの順番じゃないでしょ!! 座るー!!」(キーキー)

 活字では伝わらないもどかしさもありますが、大人が聞いても不愉快な怒鳴り方をするのです。

 怒鳴られた子どもは、体をビクンとさせてから座ります。その後も怒ったような険しい表情をしていました。言われ方が納得できていないのでしょう。

 普段もそういった間違いをすることがありますが、「〇〇(正しい行動)しようね」と普通に行動を修正してあげれば、「うん」と素直に行動することができる子です。

 無意味な威圧や圧力は、子どもの人格を歪めてしまいます。

②一発レッドカード?

 水筒を片付ける際に、置いてあった自分の水筒をふざけて倒した子がいました。ふわっと軽くですし、ふたも閉じています。子どもの好奇心からでた行動で、どう見ても悪意は感じられません。

「何やってるの!! ふざけてるんじゃない!! それはいけないこと!!」(一例です)

 などと怒鳴り、痛烈に責め立て始めました。とにかくやっちゃ駄目なことだとまくしたて続け、ついにはその子どもは泣き出してしまいました。

 他の子どもたちも固まってしまいます。恐怖からなのか完全に表情が死んでいました。

 子どもたちが帰った後、「泣くまで指導してください。それでも分からないだろうけど」ですって。威圧や恐怖に頼りきった支援が療育なのでしょうか。そこまで怒鳴り散らさないといけないようなことをしたとは思えません。

なぜ怒鳴ってはいけないのか

 大前提として、子どもを怒鳴りつけると、子どもの脳の発達が阻害され、ダメージを受けます。脳の正常な発達に偏りが生じ、成長するにつれ問題行動が多くなっていく傾向があります。

 加えて、発達障害を抱える子どもを怒鳴ってはいけない理由があります。

①耳から入ってくる音に敏感である

 発達障害の子どもの中には、そもそも大きな声や音が苦手である場合があります。そうした子たちにとって怒鳴り声は、私たちが感じる何倍もの大きさに感じられます。そして、そこにはパニックを起こす可能性も同居しています。

 パニックなると、落ち着かなくなったり、暴れたりすることもあります。この時点で、興奮した状態ですので、指示や指導は入らなくなります。

②気持ちの切り替えが苦手である

 例え大きな声が平気であったとしても、怒鳴られることで嫌な気持ちになったり、落ち込んだりします。怒られている理由が理解できない場合は、嫌な気持ちだけが残ります。

 中には0か100かという二極化思考をする子どももいます。「怒鳴られた自分は価値がない、ダメな人間だ。」、「こんな所来たくない。」などと負の感情に支配されてしまいます。

 それらがパニックにつながることもありますし、後になってフラッシュバックしたりすることもあります。強いショックの場合は一生消えない心の傷になることもあり得ます。怒鳴ることで良い影響は全くないのです。

③二次障害につながるおそれがある

 上記①や②をはじめ、不適切な対応や周囲の無理解などが積み重なり、負の感情が増幅してしまうと、二次障害につながる可能性があります。

 二次障害にみられる主な特徴には、暴力や暴れる、反抗する、うつ症状、心身症、ひきこもり、不安障害などがあります。

 こうなってしまうと、本人だけでなく周囲も辛い思いをしてしまいます。二次障害に至るかどうかは個人差がありますが、リスクを軽減することには大きな意味があります。

放デイにおける指導法とは

 発達の偏りを抱える子どもたちに対して、どのような指導法がよいのでしょうか。

 これには明確な答えがあります。有名かつ簡単な方法、それは「CCQ」です。ペアレント・トレーニング(ペアトレ)に触れたことがあれば、ご存じかもしれませんね。

 CCQとは……

  • C(Calm)…… 穏やかに
  • C(Close)…… 近くで
  • Q(Quiet)…… 静かに

 ……声をかけることです。

 すなわち、「大人(職員や親)自身が穏やかな気持ちで、子どもに近づいて静かな声で、指示を出す。」ということです。

 子どもと視線を合わせて、分かりやすい指示(具体的な行動)を出します。それだけでいいのです。

 具体的な行動は、例えば「かばんを棚にしまってね」「靴を脱ぎます」「宿題をはじめるよ」など動作や内容が分かるように指示を出してあげるとよいでしょう。

 そして、行動に移そうとした時点で褒めてあげてください。できるまで待ってから褒めたくなるところですが、やろうとした時に褒めましょう。もちろん、できた後も褒めます。

 褒められた嬉しさが、「また次もやってみようかな」という気持ちにつながっていくよう、繰り返し褒めてあげてください。そういう良い循環が生まれてくると、大人も子どもも嬉しくなりますよね。生活が楽しくなるような仕組み作りは、幸福感を生み出しますし、双方の自己肯定感も高めます。

 私が放デイ職員として、声かけの基礎である「CCQ」を実践していたところ、「大きな声で言わないと(子どもに指示が)入らんよ!」と偉そうに一蹴されました。「大きな声に条件付けられているので、そうかもね」とは思いましたが、別にCCQでも動きます。狭い室内で声を張り上げて指示を出してるのも、聞いていて不快なのです。適当な音量というものがあります。

 声を大にしなければならないのは、道路に飛び出す、暴力を振るうなど生命の危険が絡んでくる時くらいです。危険予測ができていれば、声を大にしなければならない場面というのはほとんどありません。

最後に

 研修などでも「褒めて伸ばす」が主流の昨今。生活や活動が楽しくなるような、自尊心を大切にした声かけの重要さを認識する必要があります。

 ですが、正反対の指導が行われており、それを強要されることが多く、従わない者は不適格者と扱う職場なので辞めました。理由は他にもありますが、辞めた理由のひとつは指導法です。

 誤解がないように説明しますと、怒鳴りつけたり、圧をかけたりする指導法は、精神病棟や刑務所などある程度の強制力をもって統制する必要がある施設で用いられるもので、放課後等デイサービスには相応しくないのです。

 ちなみに、少年院では発達障害の子どもが増えたこともあり、「褒めて伸ばす」(物事を肯定的に捉える)指導法にシフトしていっており、個に合わせた指導をしています。

 脳科学をはじめ、人間について様々なことが分かってきている時代に、旧態依然ではいけないのです。新しい根拠が示されたら、それに基づき実践するという柔軟な姿勢や態度は、福祉や教育に限らず、あらゆる分野において必要なことです。

 職場や個人、社会の慣習を変えるのは難しいことですが、「当たり前」が本当に「当たり前」なのかに疑問をもつことは、変革の第一歩であると思います。

 余談として、施設の方針や個人などのやり方(不適切なことがほとんどですが、正しいこともごくまれにあります)に従わない者を排除(←指導ではなく排除)しようとする者の特徴は、以下をご覧ください。嫌がらせや攻撃をしてきます。

自己愛性パーソナリティ障害の特徴

 当時ですが、念のため公的機関に相談に行ったところ、「虐待の可能性有り」という第三者の意見を聞くことができ、自分の判断の正当性を確認した経緯もあります。

 一部「共依存」のような関係性もあり、危険であるとも言われました。具体的な対応の要望を聞かれましたが、一切要望しませんでした。指導が入ったところで改善することはないだろうし、情報漏えい者の特定に躍起になるだろうことが容易に想像できたからです。

 会話もできる、言われたことを理解できる、他害もない子どもが多い集団において、ヒステリックに怒鳴りつけたり、責め立てたりするなど恐怖で人を動かす指導法は、もはや時代遅れとしか言いようがありません。

 恐怖による条件付けは、その施設に通っている間しか効果は得られません(方法自体間違いですが)。その間のダメージや二次障害、将来恐怖から解放された時の生きにくさ(感情のコントロール、二次障害など)などの弊害が生じることに目を向けなければなりません。

 その時の支援がその後の人生につながっていくわけです。最新の知見や専門的知識など研修を利用することで、専門性を高めたいものです。

 科学的根拠もない、支援する側の経験則だけで善悪が決まってしまう職場は危険ですし、迎合するか辞めるかしか選択肢がないのです。「改善提案=文句・悪口」と捉えますから。

 子どもに関わるすべての人には、物事を肯定的に捉えて、褒めたり修正してあげることを望みます。これは甘やかすことではなく、良いことは良い、いけないことはいけないと伝えるということです。その際、威圧や恐怖、強制を伴わずに伝えてください(命の危険や違法行為など重大な局面は除きます)。

 自分の気持ちをないがしろにされ、大人を嫌いなまま大人になった子どもは、自信も低いですし、攻撃(批判)的にもなります

 お子さんの将来の幸せを心から願って、温かい言葉をたくさんかけてあげてたいものですね。

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